参拝のご案内
客殿
医王寺の客殿は、正徳4年(1714)に建立されたと伝えられています。もともと客殿本来の使われ方をしていたのですが、明治17年(1884)には位牌堂を増築し、普通の寺院にある本堂と同じような用途で使用しています。
回忌のご法事や元旦護摩修行、節分会、施餓鬼会、大般若転読会など、ほとんどの仏教行事は、客殿にて行っているため、お檀家の方だけでなく、一般の方にとっても一番なじみがある建物だと思います。
また、枯山水の庭園は客殿の西側と南側に広がっているため、医王寺の中心になる建物でもあります。
位牌堂の中央には、大日如来をお祀りしています。この大日如来は、もともと客殿の仏間に安置されていた仏さまでした。
また、松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)により、ご寄進いただいた、御前立ちの薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩も安置しています。
明治維新の廃仏毀釈、神仏分離の政策により、当時の医王寺の末寺は次々と廃寺に追い込まれました。
金剛院が本寺でしたが、医王寺を復興するという形をとり、法灯を守ったのです。すべての末寺のお檀家を医王寺にてお祀りすることになったため、広い位牌堂が必要となり、この客殿の奥につなげる様に増築しています。
幕末の頃から宝生院において、寺子屋が開かれてはいましたが、明治政府が立ち上がる頃、寺子屋に通う生徒の数も増え、宝生院では手狭になってしまいました。
そのため、教場を医王寺の客殿に移し、名称も郷学所に変更することになりました。
欄間の彫刻
鳳凰と龍の欄間飾りは、客殿創建当時の物です。大胆な構図と、浮き上がって見えるほど、彫刻の彫りが深く、まるで生きているかのような様子に驚かされます。現在は同じような彫刻を依頼できる職人がおらず、復元するのは不可能と言われるほどです。
この欄間は、川島惣兵衛氏から奉納された物です。現在も色がしっかり残っている。大変貴重な欄間飾りです。
方丈の間
客殿の一番奥には方丈の間があります。現在は、医王寺の寺宝や貴重な資料をご覧いただくための展示室になっています。 その昔、医王寺の住職が寺務を執り行った部屋になります。 方丈とは、1丈四方の広さの面積やその部屋、建物を指します。具体的に4畳半程度の広さです。
寺院の住職のことを「方丈さま」などと呼ぶことがありますが、それは、方丈の間にて仕事をする。または、方丈の間を自分の部屋として使っていたことからと言われています。